昨年の春にホームセンターで鉢植えの花を買い、その冬に全てが枯れてしまった。
枯れたその鉢を部屋においておいたら、今年に入って小さな芽がたくさん出てきたので、
「お!また花咲かせてくれるか?」
などと思ってそのまま丁寧に水を上げていたところ、それは「ハコベ」だった。
ハコベとは、春の七草の一つでもある雑草。
小鳥が大好きな葉っぱで、昔インコを飼っていた時に野菜がわりに庭から引きぬいてあげていた記憶もある。
雑草とはいえこの世に生を受けたのだから、大切に育ててあげましょう、ということでせっせと水やりをしていたのだが、一日水やりを忘れると翌朝必ずしなびている。
オイオイ雑草なんだからもっと生命力があってもいいものだろ。
なんて思いながらも、忘れずに水やりをしていたのだが、やはり忘れることもしばしば。
そのたびにしなびる始末。
雑草ってものすごい生命力があると思っていたが、雑草自体の生命力は大したことがないのだな。
ただ、よく観察してみると、水やりを忘れてしなび始めると、花も咲いていないのにたくさんの種を放出しているようで、鉢の周りは種だらけになって掃除が大変。
逆にしっかりと水をあげていると、種は一切放出しない。
自分たちの身に危機が迫ってくると、子孫を残そうと必死で種を放出する。
だから、庭などに生える雑草はいくらむしっても次から次へと出てくるわけだ。
逆に言うと、生命の危機にさらされなければ、子孫を残すために種を放出する必要はないということなのだろう。
これを現在の日本にあてはめてみると…。
われわれ下級国民は、いわゆる日本国内の雑草のようなもの。
お国を司る上級国民から見れば、下級国民は必要だが煩わしいものでもある。
その雑草である我々は、セーフティネットと言われる各種の扶助や支援・補助によって、かなりのレベルで生活が守られている。
つまり、雑草に水をあげているわけだ。
ということは、生命の危機にさらされていないので、本能的に子孫を残そうとはしないのかもしれない。
少子化が深刻な中、偉い政治家さんの対策といえば、国民は子供を育てていく費用負担が重いから子どもを作らない。
だから子ども手当を支給して支援しよう。
そういうことなのか?
だとしたら、それは的外れなのではないか?
実はその逆で、すべての支援を停止して危機感を持たせる、つまり雑草に水をあげてしまってはダメなのではないだろうか?
北アフリカやアラブ諸国で若者がエネルギッシュに活動している。
かつては日本もそうだったのだろう。
しかし、敗戦後に戦勝国が作った日本の憲法によって、国民のエネルギーを奪い取っているのではないか?
今の日本で起こるとしたら、一生懸命働いているにもかかわらず、生活扶助を受けている人よりも暮らしが苦しい人たちが集ってFacebookやTwitterでデモを呼びかけるのだろう。
しかし残念なことに、どんなに一生懸命働いても、払えるものが払えなくなってしまえば、その人も生活扶助を受けることに違いない。
日本はそれを「生きる権利」として認めている。
戦勝国は、日本が二度と暴走しないよう、国民という雑草に死ぬまで水を与え続けるよう指導した。
そして国民は、国政を憂うが決して反逆はしない。
だって、水をもらえなくなってしまうから。
ハコベを育てていて、こんなことを感じた。